そんでもって

二週間が経過。進捗は変わらず。嘘だろう。

何をやっていたかと言えば、何もやっていない。格ゲーをやっておりましたのよ、おほほほほ。新しい興味を喜ぶべきか、身になることをやっていないのを嘆くべきか。生きるのだから、学びに励みなさいよ。脳内のそういった寮母が。

卒論の勉強を全くしていない。レポートを提出してから学びを全くしていない。どうなのだ。そうこうするうちに哲学におけるユーモア史をまとめた本が出るらしい。嘘だろう。波が来ている。私は沈められる側だが。

調子が良いのか、悪いのか。就職支援課には相変わらず行けていない。大学は一分居ただけで死にたくなる。私の空虚な四年間を実感させられてしまう。就職支援課は何を相談すればいいかも分からないし、そんな状態で話しかけていいかも分からない。いっそ死んでしまおうか。いやまあ、死ねるならそうしているのだが。

身を投じるにも努力は求められるし、世の人間の努力はつまるところ投身自殺の準備である。恐れ入る。自己実現など、努力によってようやく死に様を選べるというのは本当に残酷なことであるが。いやはは。

今日は就職支援課に行かねばならぬから。その準備として志望業界を調べねばならない。のか?じゃあ支援課は何をするのだ。

外に出れば自殺を考え、家に帰ると身になることをやらず、じゃあもう死んでしまえば良いのだが。死ぬことを、例えば親に納得させるなどは、可能なのか。

平和である。自殺などのたまえるのも平和であるからで、平和に生きる私が死ぬ理由は他人には理解できないほど軽薄であろうから、やはり相談など止めてひっそりと死ぬしかない。ほほほ。一種のパラドクスであろうか、それは警察が来るのだが。